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ロードオブメジャー、、、俺の青春の1ページだった。。。
 
 
【2007/07/04 00:30】
 
 
 人気バンド「ロードオブメジャー」が2日、解散を発表した。所属レコード会社がマスコミ各社にファクスを送付したもの。3日午前0時にオフィシャルホームページでも発表した。メンバー4人とスタッフの連名で「この5年間、趣味趣向の違う僕らが、僕らなりのペースで“雑走”して来ましたが、ここで一区切り、一度おのおのの音楽活動の原点に立ち返りたいという結論に至り、“解散”という形をとることにしました」と経緯をつづっている。再結成の可能性も示唆している。

 02年4月、テレビ東京系のオーディション番組「ハマラジャ」の企画「ロードオブメジャー」でヘッドハンティングされ結成。デビューシングル「大切なもの」がミリオンセラーとなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070703-00000019-spn-ent

北川賢一(きたがわ けんいち)/ヴォーカル
松本 賢一(まつもと けんいち)/ベース兼リーダー
近藤 信政(こんどう のぶまさ)/ギター
上原 彰兼(うえはら あきかね)/ドラム


2002年、テレビ東京系で放送された番組「ハマラジャ」のドキュメンタリー企画「ロードオブメジャー」にてヘッドハンティングされ、結成される。
インディーズデビューシングル「大切なもの」を新星堂限定で発売。話題を呼び9月には新星堂以外のCDショップでも発売。結果的には19週連続オリコントップテン入りとなった。

2003年、シングル「雑走/足跡」を発売。
    シングル「僕らだけの歌」を発売。
    1stアルバム「ROAD OF MAJOR」を発売。

2004年、メジャーデビューシングル「心絵」を発売。
2005年、「偶然という名の必然」を発売。
    「親愛なるあなたへ...」を発売。
    「蒼天に向かって」を発売。
    アルバム「ROAD OF MAJOR II」発売。
2006年、「さらば碧き面影」を発売。
    「ENERGY」を発売。

2007年、「PLAY THE GAME」を発売。
     アルバム「GOLDEN ROAD ~BEST~」を発売。
7月3日、オフィシャルHPにて7月18日発売のDVD、リミックスアルバムを最後に解散を発表


いやぁ、懐かしいねぇ。
俺、「大切なもの」、これ会社の先輩の結婚式で社内でバンド組んでギター演奏した。そんな想い出がある曲です。
すぐにできると思ってたんだけど、意外とギター難しいのよw
ギターのパート↓

リズムの取り方がメッチャ難しかった。
ギターやってる人には分かると思うけど、この曲演奏してたらなぜかどんどんどんどん周りとテンポがずれてくるのよ。ギターだけが早くなってくる。
二週間しか練習期間なくて、もう諦めようかと思ったけど、なんとか間に合った。んで、みんなから絶賛された。なにせ社内で緊急に結成したコミックバンドで演奏したからねw初心者もおったのに。
あぁ、いい想い出や…。


今日は、ロードオブメジャーと同様、企画もので一躍ヒットしたグループを取り上げてみた。ではでは。

Something ELse

大久保伸隆(おおくぼ のぶたか、リード・ヴォーカル、アコースティックギター)
伊藤大介(いとう だいすけ、アコースティックギター、ヴォーカル)
今井千尋(いまい ちひろ、ベース、ヴォーカル)


1996年、Something ELse結成
シングル「悲しきノンフィクション」でデビュー。最高位137位に止まる。
2nd~5thシングルに至っては200位にランクインされることもなかった。
1998年9月、当時の人気番組「雷波少年」(日本テレビ)から、「ラストチャンス」企画が持ち上がる。企画内容は、「3人で一つの部屋にこもり、楽曲を制作・発売。その楽曲がオリコンチャート初登場20位以内に入らなければ音楽生命を絶たれる」というものであった。レコード会社とアーティスト間で交わされる契約は通常2年周期であり、ちょうど契約切れに差し掛かった時期だった。メンバーはスタッフの方針に不信感を募らせながらも、「自分達の音楽の力がいかなるものなのか、答えを知りたい」と、参戦を決意。
同年12月23日に運命の一曲「ラストチャンス」をリリース。デビュー後に出演していた地方ラジオ局などの応援も大きく、全国のラジオ局などを主体として『僕達もサムシングエルスを失いたくない!!』という応援チラシが配布された。また、ファンが集い千羽鶴や自作チラシを作り、必死に応援を続けた。これらの応援が功を奏した。翌年のオリコンチャートでは初登場2位、翌週には1位に輝くなど、ミリオンヒットを記録。その後のストリートライブブームに一役買う。TBS「日本ゴールドディスク大賞」ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、「NHK紅白歌合戦」と「日本レコード大賞」など、年末年始の番組に数多く出演。
2001年末にはアメリカ・ナッシュビルへ飛び、レコーディング作業を敢行。
2002年秋には、全国津々浦々でのライヴ活動に重点を置くべく、サブ・アーバンミュージックを提唱。
2003年秋に『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演。
2004年は大久保伸隆がバンド活動と並行してシングル、アルバムをリリース。
2005年1月1日より、デビューから9年間所属していた「アップフロントエージェンシー」から独立し、新事務所「パラレルワールド」で新たな活動を始めた。
2006年8月1日、同年10月22日のツアー最終日を持って解散することを表明した。


Bluem of Youth

別所悠二(べっしょ ゆうじ)ボーカル、ギター、作詞。
松ヶ下宏之(まつがした ひろゆき)ギター、ピアノ、作曲。


1992年に上京しユニット結成。
1995年10月10日、シングル『最後の願い』でデビュー。
1999年、日本テレビのバラエティー番組雷波少年の崖っぷちバンド企画「雷波少年系ラストツアー」によって急遽モスクワへ行くことになる(雷波少年の送り込んだショッカーによって連行される形だった)。その企画内容は、ロシアの大動脈であるシベリア鉄道横断の旅だった。シベリア鉄道(モスクワ~ウラジオストック)の各駅を旅しながら(生活費や旅費はストリートライブなどで稼ぎながら)運命の一曲を作り上げ、その一曲で日本武道館ライブ(入場料は1000円)を行うというものだった。もしこのライブで観客を1万人以上集められなかった場合は、ユニットを解散し音楽以外の業界へ就職しなければならないという厳しい条件付きだった。旅の途中、二人の旅に感銘を受けた女優の室井滋がロシアに赴き二人を訪ねるという場面もあった。このおよそ半年間の旅を経て誕生した曲が『ラストツアー~約束の場所へ~』である。アムール川のほとりで山篭りをしての完成だった。この曲を日本に持ち帰り、1999年10月4日、日本武道館ライブを行った結果、1万人をはるかにしのぐ(当初は1回だけだったが入りきれなかった客のために2回行われた)2万人近くもの観客を動員することに成功し(番組によると実際には約3万人が来場したという。)、見事再出発を果たす。ちなみにこのライブでは、先の室井滋をはじめ、Something ELseやサンプラザ中野とパッパラー河合(ともに爆風スランプ)、伊集院光など多くの有名人も駆け付けた。2ヵ月後にSony RecordsよりCD発売された『ラストツアー~約束の場所へ~』は50万枚のヒットを記録する。
2002年末をもってユニットとしての活動を休止。現在は2人ともソロ活動を行っている。
2005年10月、デビュー10周年を記念して、東京(10月4日)、広島(10月9日)、大阪(10月10日)において3日間限定復活ライブを行った。


猿岩石

森脇和成(もりわき かずなり)
有吉弘行(ありよし ひろいき)


1994年4月に結成
1996年4月、テレビ番組『進め!電波少年』の企画で「だまされて」香港に連れてこられた。そこで告げられたのは「イギリスまでヒッチハイクで行け」だった。そこから、旅が始まった。最初は猿岩石はリタイヤをいつでも出来る、しょせんTV企画という甘えがあったと語っている。最初の頃は知名度の無さから低迷していたが、インドを過ぎた頃から人気が出始めた。多少のヤラセ臭さは有ったが、元々『電波少年』が治外法権的な所もあったのか、そのような点を超越しての人気だった。この企画で『電波少年』の人気は持ち直し、2003年まで続く事になった。二人は1996年10月に無事ゴールした。12月、秋元康のプロデュースにより、藤井フミヤ、藤井尚之兄弟提供の「白い雲のように」を発売する。ヒッチハイクを連想させる様な曲でミリオンセラーになり、1997年のレコード大賞の新人賞を受賞。
2001年4月、フジテレビの「プレゼンタイガー」の企画で「手裏剣トリオ」に改名。
2004年3月に有吉のお笑い芸人志向、森脇の役者・音楽家・実業家志向と方向性の違いより解散した。


H Jungle with t

HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPの共演で意気投合した浜田と小室だったが、番組内で浜田が「僕にもヒット曲プロデュースして下さい」と話した事がきっかけで1995年に結成。
デビューシングル『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』は200万枚を越えるヒットを記録し、同年のオリコン年間チャート2位を記録。
1995年には第46回NHK紅白歌合戦に出場。
1996年の『FRIENDSHIP』以来活動は止まっており、以降再結成は行われていない。小室が吉本興業とマネージメント契約を結んだのを受けて、『HEY!HEY!HEY!』内で「今後活動はないのか?」と松本が問いただしたことがある。「H jungleは…微妙」と小室は呟いており、再結成は難しそうである。


ポケットビスケッツ

内村テルことウッチャンナンチャンの内村光良(プロデューサー、リーダー、キーボード)
坂本千秋こと千秋(ボーカル)

独活野大木(うどのたいぼく)ことキャイ~ンのウド鈴木(ギター)

1995年10月結成。
1996年4月17日に日本でCDデビュー。
1997年、『Red Angel』発売時にエンディングテーマを懸けての対決。
1998年、ブラックビスケッツのCD発売を賭けての対決に敗れ、新たなるCD発売を懸けて100万人署名運動を行い、178万4892人の署名を集める。その署名に基づいて発売された「POWER」は、この手の企画としては驚異的な売上となり、初のオリコンヒットチャートの1位に駈けのぼる。
2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。
2002年3月、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!最終回イベント「ウリナリ祭り」で復活を果たした。 (メンバー3人が共演・ポケビ活動したのはこれが最後)
2007年2月22日、千秋が自身のブログ上で最近久しぶりにポケビ会議が行われたことを明かす(会議の内容は不明)。さらに近いうちにまたポケビ会議あるかもしれないことも同時に明かしていた。


野猿

石橋貴明(いしばし たかあき/とんねるず)
木梨憲武(きなし のりたけ/とんねるず)
平山晃哉(ひらやま てるちか /アクリル装飾/ナカムラ綜美所属)
神波憲人(かんなみ のりひと /衣装/東京衣装所属(当時))
成井一浩(なるい かずひろ /大道具/東宝舞台所属)
飯塚生臣(いいづか いくおみ /特殊効果/東京特殊効果所属※)
大原隆(おおはら たかし /大道具/東宝舞台所属)
網野高久(あみの たかひさ /持道具/京阪商会所属)
星野教昭(ほしの みちあき /ロケ車両ドライバー
半田一道(はんだ かずみち /スチールカメラ/ダイアカラー所属)
高久誠司(たかく せいじ /カメラクレーン/明光セレクト所属)


TBSの『うたばん』のパロディーとして「ほんとのうたばん」という音楽コーナーをやっていた。そのなかで、KinKi Kidsのマネをするとんねるずの後ろで踊っていた番組スタッフを「ジャニーズシニア(?)」と名づけたことが始まり。
デビューシングル『Get down』がオリコン初動10位の大ヒットとなり、基本メンバーとなってからの2ndシングル『叫び』で自身で最高位の初動2位を記録。以降もトップ10圏内を維持し続け、売上も20~40万枚の高水準となる。しかし2000年頃から徐々に人気に陰りが見えだし、10thシングル『star』が初動9位となったことから解散が決まる。
2001年の始めに撤収(解散)を発表し、同年5月に撤収となった。
解散後、野猿ファンの女子高生が野猿解散のショックを受けて自殺したと報道される(「野猿が解散してしまうのならつまらない」という走り書きがあったため)。
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テーマ:懐かしい歌謡曲 - ジャンル:音楽

 
 
 
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