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「自分のために努力する。結果を出す。」 それがQちゃんの魅力でしょ? 主客転倒だった今回のレース。
 
 
【2008/03/10 01:55】
 
 
 「最後の挑戦」と宣言していた五輪への夢は実らなかった。

 再起をかけた9日の名古屋国際女子マラソンでよもやの失速、アテネに続き北京五輪の代表切符も逃したシドニーの金メダリスト高橋尚子選手(35)。レース後には、7か月前に右ひざの手術を受けたことを初めて明かした。

 先頭集団から大きく遅れながらも、沿道の大声援に背中を押されてゴールにたどり着き、「これが今の実力。北京では(選ばれる)3選手の応援に回ります」とQちゃんスマイルを見せた。

 沿道を埋めた観客からどよめきが起きた。スタート早々の9キロ手前。高橋選手が、重たい足どりでずるずると後退する。視線を足元に落とし、先頭集団を追いかける余裕はない。

 10キロ手前で声援を送っていた父の良明さん(66)も「顔色が悪く、調子が良くないようだ」と高橋選手の異変を感じとった。車で先回りした32キロ地点では、先頭との差が約10分に開き、必死に走り続ける娘に「尚子あきらめるな」と声を張り上げた。

 レース後、高橋選手は本調子でなかった理由を聞かれると、「実は」と言った後、ひと呼吸置いてこう切り出した。「昨年8月、右ひざの半月板の手術をしました」

 米国での合宿中に、5年ほど前から苦しめられてきた持病が再発。不安はあったが、手術をしなければ練習を続けられない。「挑戦せずに北京への道をあきらめるわけにはいかない」と、決断したという。

 松葉づえで立つことからリハビリ生活を始め、満足な練習ができるようになったのは今年に入ってから。「あきらめちゃだめと、何十回、何百回、何千回と繰り返した」と振り返った。

 シドニー五輪で金メダル、1年後には世界最高記録を更新した。しかし、その後はアテネ五輪のスタートラインにすら立てず、右足首を骨折するなど苦難が続く。2005年5月に小出義雄監督(68)の元を離れて、「チームQ」を発足させる。「言われたことを何も考えずに実践するだけだった」という生活との決別。練習の手応えやレースの勝算を聞かれるたびに、「それを一番知りたいのは私自身」と語り、時折、不安ものぞかせていた。

 不安が現実になったレースで、高橋選手に42・195キロを完走させたのは、沿道の「Qちゃんがんばれ」という励ましだった。ゴールの瑞穂公園陸上競技場。トップから18分遅れで姿を見せても、優勝ランナーを迎えるような大きな拍手が沸き起こり、「お疲れさま」と声が飛んだ。

 「あきらめなければ夢はかなうというメッセージを伝えるには優勝しかない」と言い切って、臨んだレースだった。不本意な結果に、ゴールするとすぐにサングラスを外して、満員のメーンスタンドにぺこりと一礼。「皆さんから『あきらめちゃいけない』と(いう気持ちを)私がもらった」と話した。スタンドで見守った高校時代の恩師・中沢正仁さん(40)は教え子の姿に「心に残るいい走りだった」と涙をぬぐっていた。

 記者会見で、今後について聞かれ、「まだまだやりたいことがある。まだ陸上競技を続けたい」と走ることへのこだわりを見せた高橋選手。「温かい声援に支えられ、気持ちよく走った。マラソン選手で本当に良かった」。最後の五輪挑戦を笑顔で締めくくった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080309-00000030-yom-spo

元ヤクルトスワローズの古田が現役バリバリの時に言った言葉を思い出した。
なにぶん古い記憶なので言葉の詳細まではっきり覚えていないが、今でも記憶に残ってる。

番組も終盤に差し掛かり、最後のまとめのやりとり。

アナ「来シーズンも見ている人に感動を与えるプレーを期待しています」

古田「え?それは違いますよ。感動とは見ている人が受けるものであって、やってる本人はそういった気持ちでやるわけではない」


さらっと、やりとりは終了したが俺の心の中まで響いた言葉だった。


「感動・勇気を与えるプレーをする」

最近アイドルやミュージシャン、スポーツ選手がしきりにこの言葉を発するが、言い方悪いが
「おごった考えするな」
と思ってしまう。



実際に、受け手が「感動した」「勇気をもらった」ということはある。
しかし、それは「結果」としての第三者の評価からくるものであって、「目標」に掲げるものでもなんでもない。「感動」「勇気」といったものは全て受け手によるもの。



俺なんてアイドルがライブで大恥かいて失敗しようが、涙ながらに最終ステージを終えようが、どうでもいい。

う~ん、、、言いたいことが正確に伝わらないかもしれませんね。
極論になるが、亀田が、沢尻が、ナベツネが・・・

「見ている皆さんに、感動を与えたい」
なんて言った時に、どういう心情になるでしょうか?この言葉の傲慢さを感じませんか?



話は高橋選手にうつるが、俺自身、Qちゃんは好き。それも大好き。
悔しい時も叩かれる時も、きちんとマスコミに出てきて丁寧に自分の気持ちを伝える。普段の身なり態度から人の良さを感じる。
しかし、俺が好きなのはそこやない。彼女に最も魅力を感じるのはそういった普段の態度・表情からは到底想像しがたい心に秘めた闘争心であり、きちんと結果を残す彼女の強さ。
だからこそ、彼女の走るマラソンが楽しみだった。

しかし、そんな高橋選手が今日のレースを迎えるにあたってこう言ったと。
「諦めなければ夢が叶うということを見ている人に伝えたい」
「諦めなければ夢が叶うと言うことを伝えるには、優勝するしかない」
「全ての人に勇気を与える走りをしたい」


マラソン中継で、「高橋選手のマラソンにかける思い」を放送する場面で何度この類の言葉が使われたことか(正確になんて言葉だったかは、マスコミの報道の仕方によって違うからこの言葉に対しての執拗なツッコミは避けるが)。

他の選手はというと、
「勝てるものなら1発屋でもいい。」
「このために今まで死に物狂いでやってきた。絶対にこのチャンスをものにしたい」
「故障して苦しかった2年間の思いをぶつけたい」
「北京オリンピックという目標があったから、前回のオリンピックで受けた挫折を乗り越えられた。絶対に勝ちにいく」
「今年1月に行われた大阪国際では、オリンピックに出たいために途中棄権して、この名古屋に無理やり合わせた。どうしてもオリンピックに出たい」
「勝負の世界に参加する以上、出るからには勝たなければならない。それ以外、なにもない」


こう言ってる。



ほとんどの選手が、自分のために走り、自分の夢を実現させるためにやってる。

それは、、、

スポーツの世界がエンターテイメントではなく真剣勝負の場だから。


冬季オリンピックで金メダルをとった荒川静香は、勝負の世界から退きエンターテイメントに活動の場をうつした。人に魅られて評価される場に自分の身をおいた。
現役を続けても変わらないのではないかと思った人は多いと思う。

そもそもフィギアスケート自体が、人に芸術を魅せるためのものだと捉えられがちだから。
しかしやってる本人は全然違う。
見ているファンは3回転半のジャンプと、4回転のジャンプで「美しさ・芸術さ」の評価が変わるのだろうか?
そもそもあの一瞬の回転で3回転半と4回転のジャンプの区別がつく人ってどれだけいるか。
見ている人の評価では変わらなくとも、アスリートの勝負の世界では、これは全く違う。この半分の回転ができるようになるために、どれだけの時間をかけ、どれだけの練習・筋トレ量が必要か。どれだけ時間と労力を使おうが、できるとは限らない。そんな中で自分を極限まで追い込んで努力をし続けなければならない。それも全て勝負に勝つため。


この状況で
「見ている人に感動を伝えたい」
なんて気持ちが先行するやろうか?


「オリンピックに出て、金メダルが取りたい。」
「ライバルに負けたくない。」
「1点でも多く点数を取りたい」

と言う気持ち以外のなにものでもない。


もしもイナバウワーが、今は評価の点数が高いが、「誰でもできる簡易な技」となれば勝負の世界では捨てなければならない。たとえそれが荒川静香に色んな思いがつまっていようと、ファンから期待されようと勝負の世界に身を置いていれば間違いなく捨てたと思う。
そう思うから、魅せる世界を選んだ荒川静香に、俺は潔さを感じた。



真剣勝負は数々の名場面を生んできた。真剣勝負を見て、見るものは感動を受けた。
振り返って考えても、俺が今まで感動した場面に最初からアスリートが、ミュージシャンが
「見ている人に感動を」
「見ている人に勇気を」
と言ったものは、ほとんどない(「ない」とは限らないので「ほとんど」としたが、実際は思い当たらない)

なにか主客転倒してないか?

最初から
「諦めなければ夢は叶うというのを見ている人に伝えたい」
と『見ている人を意識している』時点で、高橋選手は他のライバルに負けていた。

見ている人は関係ない。
見ている人に何かを伝えるために走るわけではない。
全ては自分のため、チームQのため、プライドのために勝ちたかったのでしょ?勝ってオリンピックに出たい。だから努力をしてきた。違うの?

一般参加で出場した期待の若手中村選手が優勝して五輪出場がほぼ確実に。
俺はその結果に
「努力すれば、大物でも倒すことができる。夢は叶う」
そう感じ、勇気をもらった。

人に何かを伝えるとはそういうもの。
高橋選手だから、その辺は十分分かっているとは思う。だからこそ自分から言って欲しくなかった。


レース後、高橋選手が
「引退か、と言われるかもしれないが、まだやりたいこと、目標がある」

この言葉。

そう。人の評価は関係ない。人からどう捉えられようと関係ない。
自分のために、自分が納得するまで努力する。それが勝負師Qちゃんの本当の姿。

その姿が見る人の感動を生み、勇気を与えると俺は思う。
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テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ

 
 
 
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この記事に対するコメント
 
 

自分はそれほど彼女に思い入れがないので(マラソン自体が不得手なので)
「全ての人に勇気を与える走りをしたい」
という発言は特に違和感とか奢った気持ちとかは感じなかったです。
レース前に知ったわけではないせいかも知れませんが。
彼女の年齢・最後の第一線でのレース・ケガや最近の戦績、チームQとしての責任などを考えたら
―なにしろ彼女はすでに夢は叶えてしまったわけで(オリンピック出場=夢であるなら)―
きっと彼女の中では、このレースに優勝するとしたら奇跡っていう表現のほうがあってたんじゃないかなと1週間かけてたどり着きました。
でも自分で「奇跡」なんて余計に言えないじゃないですか。まあ黙して語らずのほうがよかったのかもしれないですが、そういうわけにもいかないところがむしろ同情してしまいます。
とうか、感動=心が動くという意味ではレースを観なかったですが、十分感動しましたよ。

高橋選手だから、その辺は十分分かっているとは思う。だからこそ自分から言って欲しくなかった。っていう管理人さんの気持ちも最初はわかってたつもりだったんですが、やっと「ああ、管理人さんってこんだけQちゃんが好きなんだなー(思い入れがある)」ってわかりました。自分の経験からですけど。

フィギュアスケートネタのほうがむしろ気になって・・・アクセルとそれ以外はわりと判断つきやすいだろうし、アクセルは結構別物なところがあるので厳密にいえば半回転より1回転の努力が・・・とか、イナバウアーが切り捨てられるか?という点では、実際に難易度高いので・・・今後採点方法が見直しになって基礎点が低くなったらっていう設定で考えてみましたけど、多分切り捨てはしないと思います。演技の構成上、必ずイナバウアーというものでもないですし~とか考えてたらこんなに日にちが経っちゃいました。
【2008/03/17 14:12】 URL | モリィ #GCA3nAmE [ 編集]


もりぃさん

返信遅れてすみません。
このコメントにどう返信しようか、悩んで悩んで、たまってしまいました・・・

>>―なにしろ彼女はすでに夢は叶えてしまったわけで(オリンピック出場=夢であるなら)―
きっと彼女の中では、このレースに優勝するとしたら奇跡っていう表現のほうがあってたんじゃないかなと1週間かけてたどり着きました。

だからこそ、私は思うんですよ。こういう気持ちだから負けたんだ、って。周りは死にもの狂いで勝ちにきてる状況ですから。
なんで、足を手術してまでこのマラソンに合わせてきたのか。もしも前回の金メダルで目標が達成できたのであれば、手術する必要もなかったんじゃないかと。オリンピック選考レースにわざわざ出なくてもよかったのじゃないかと。
選考レースに出たのは、紛れもなく勝つためであって、オリンピックに出るためであって・・・。
微塵でもそういう(オリンピックに出たいという)気持ちがあるのであれば、「奇跡」「感動を与える走りを」なんて言葉を使う所に、勝負師として違うだろうという違和感があるんです。

これは彼女でなければ分からないことですし、解釈しにくいところですね^^


フィギアの話ですが、アクセルは半回転追加するだけでも大変なものだと私は思ってます。何年もかかると思ってます。
三回転半はできても四回転できるのは、今は安藤さんだけですか?一昔前までは、三回転半ができるようになるのも奇跡だったように思います。

イナバウワーにしても、アクセルにしても私が言いたかったことは(おそらく私の表現の仕方の悪さできちんと伝わっていないと思います・・・すんません)、

世界で闘う勝負師って、「結果が全て」というルールを認識していると思うんです。
イナバウワーを誰でもやるようになったらどうでしょうか(三回転半が昔、伊藤みどりしかできなかったのが、ほとんど誰でもできるようになったように)。彼女は、自分の代名詞だからという理由で、演目に必ず入れると思います?

勝負で勝つためには、また練習して点数の高い難易度の高い演技を入れると思うんです。

「オリンピックに出る」、
「世界で1番になる」、
「僅差でも勝つ」
ってことは、その世界で生きる人間にとっては重要なことかと。金メダルが獲りたくて失敗覚悟で4回転に挑戦したりするわけで。それほど点数にこだわって闘ってきたからこそ、一線で活躍できてるんだと思うんです。

「努力こそが肝心」
「プロセスこそが価値がある」
「点数ばかりに気をとられるな」
私は、これは「きれいごと」だと思うんです。
「結果が全て」で「努力賞」を取っても救われない。
これは、勝負師は認識してると思いますよ。
【2008/04/07 04:03】 URL | 管理人 #GpT49UKE [ 編集]


こんにちは。
悩んで悩んで・・・ちょっとわかるような気が。
今回ちょっとぶっちゃけてみますね。
彼女がどんなつもりで発言したかは彼女にしかわからないでしょう。発言自体が本心かどうかすらわからないことですから。
彼女が出場することを選択したときはまだ希望←こうかくのもビミョウなんですが、優勝するだけのタイムとかでしょうか。体力とか。はあったかもしれません。手術したほうがいい結果がでるかもと手術したかもしれないし。その時点、その時点では自負があったんだと思うんですよ。
でもハンパな気持ちだから負けた、っていうのは納得できます。勝負は水物だけど勝つだけのモチベーションがあったら、違う発言だったでしょう。
ただ直前に、じゃあ優勝はもう奇跡に近くてとりあえず出場するけど、ほぼ優勝は無理っていう状況だったらキャンセルできるでしょうか?ってことなんですよ。どこらへんまでが大人の事情(スポンサーやら陸連?とかのしがらみ)なのかがわかりませんが。
でも、本心を隠してでもそうは言って欲しくなかった・・・ってことなんでしょうけど。
走る前から気持ちで負けてんじゃないか!なんですよね。

フィギュアスケートなんですが、難易度が高いものを習得して、ってのはモチロンだと思います。
ただ、なんで4回転にこだわってるのかな?とふと思ったんですよ。ちなみに今回さらに調べなおしてみましたが、イナバウアーは新採点方式で得点にならなくなったのにいれましたよね。
4年毎のオリンピックでメダルを狙うのに17歳と21歳じゃ条件が違います。体力自慢で4回転がモノにできるならそりゃ必死になるでしょう。(4回転が跳べることは現在のジャッジで有利なようなので)
でもフィギュアスケートの構成ってジャンプだけじゃないし、ましてやシングルジャンプだけじゃない。今はトリプルコンビネーションも増えてますよね。
選手の個性だってあります。ボナリーのような全身バネのように技からジャンプからキレのある選手。荒川選手のようなノーブルタイプ。自分の個性を消してまで新しいことに挑戦するかな?っていう疑問。
自分だけのコレ、っていう技への信頼を捨てるかな?っていう疑問。ていうことです。
ちなみにイナバウアーはプログラムの構成で時間があわなかったり、曲にあわなかったりしたらいれないと思います。

管理人さんの
「オリンピックに出る」、
「世界で1番になる」、
「僅差でも勝つ」
ってことは、その世界で生きる人間にとっては重要なことかと。
は、確かにそうだと思います。が、4回転だけじゃないことを当の荒川選手が証明したのになんでかな?と思った次第です。

本当に肝心なこちらですが
「努力こそが肝心」
「プロセスこそが価値がある」
「点数ばかりに気をとられるな」
私は、これは「きれいごと」だと思うんです。
「結果が全て」で「努力賞」を取っても救われない。
これは、勝負師は認識してると思いますよ。

管理人さんは敗者を全否定してるんでしょうか?
トップの人間は「結果が全て」で「努力賞」を取っても救われない。人たちの頂点にいるんですよね。
努力しても2位以下だった人間の人生が全否定されてるように思えてしまって・・・。
たとえばテストで100点をとれば1位で1位は何人いてもいい、ということと常に1位は一人しかいないということと、そのとき100点でなくても1位になれるということでは条件が違うと思うんですね。
まあ、これはそのまま4/7の日記につづく・・・みたいになりそうですが。
【2008/04/07 13:19】 URL | モリィ #GCA3nAmE [ 編集]


改めてコメントありがとうございます。
こういう、誠実な反対コメントは非常にありがたいです。ブログをよくしてくれるものだと思っています。

まず最初に、私の考えと全く違う考えが誤解されて伝わっているので、そこはどうしても否定したいのでそこから述べさせてください。

>>管理人さんは敗者を全否定してるんでしょうか?
>>努力しても2位以下だった人間の人生が全否定されてるように思えてしまって・・・。

これは、全く違います。
そして、たとえ数名でも私の文章からこのように伝わってしまったのであれば、私の書き方に問題があると思いますし、そこは十分に反省しなければなりません。

私は、犯罪者でない限り、他人の「人生」そのものを否定することはありません。そのような考えに到ることもありません。他人の人生を評価できるほど、自分の人生に価値があると思ってもいませんし、たとえこれから私が立派になろうとも他人の「人生」そのものを評価するといった大それたことは致しません。

私が述べたいのは「勝負事における努力」の部分です。
勝負事において「プロセス」は、どうでも良いと思ってます。「どうでも良い」という言い方をすれば、これも誤解を生みますね。
『勝負事において』は、結果が出れば、プロセスが評価されるのであって、その逆はないんやないかと思っているのです。

例えば、全く話は変わりますが、
「みんな一生懸命やってるんだ」
と言って、橋下知事に噛み付いた公務員がいます。極論を言うと、この「一生懸命」を評価できるか、ということです。大赤字で民間であれば倒産間近の組織でです。

間違った方向の努力であれば、修正し、その努力の矛先を変えてやらなければなりません。
これは極論ですし、例え話です。赤字会社とQちゃんの状況が違うのはもちろん分かっています。

じゃ、Qちゃんの場合は、どうでしょう。
前日に本人がこう言いました。
「結果が出て初めて、これまでやってきたことが良かったか悪かったか分かる。」

世界の第一線で活躍しているアスリートは、
「プロセスが大事」
「努力することが肝心」
だなんて思っていないということです。誰よりも「結果」を求め、誰よりも「結果」にこだわり、誰よりも「結果」に一喜一憂していると思うのです。
イチローにしても、松井にしても、そして今回北京オリンピック選考にまさかの落選したオリンピック三連覇の野村選手にしても。

誰よりも「結果が全て」だと思っているからこそ、彼ら(彼女ら)は一流の道を歩んでいるんだと思います。
「努力賞」をとったところで救われないことを彼らが一番認識しているんじゃないかと。

そんなギリギリのところで闘っている選手の集まった選考レースだからこそ、誰よりも「結果」にこだわって欲しかった。いや、「結果」にこだわっていたとは思う(先に述べた彼女の発言から)。

しかし、
「諦めなければ夢は叶うということを皆さんに伝えたい」
「諦めなければ夢は叶うということを伝えるには勝つしかない」

こういう発言から、「人に伝えるために勝つ」のが目的なの?自分の死に物ぐるいで努力してきたことが報われるために勝つんでしょ?自分の目標を達成したいためじゃないの?
と思ったのです。

私は、すっごいしょうもないことにこだわっているかもしれない。でも、「誰よりも勝ちたいと思った人間が勝つ」といわれる世界で、ギリギリの所で闘っているのならそういう気持ち一つが結果に影響するのではないかと思うんです。

今回落選した柔道の野村選手。
「(試合前に)選ばれるのは自分だと、少しでも思っていた自分が情けない」

と言ったように、第一線で活躍するアスリートは、気持ち一つで結果が違うんだって思うんです。

>>ただ直前に、じゃあ優勝はもう奇跡に近くてとりあえず出場するけど、ほぼ優勝は無理っていう状況だったらキャンセルできるでしょうか?ってことなんですよ。どこらへんまでが大人の事情(スポンサーやら陸連?とかのしがらみ)なのかがわかりませんが。

レース一週間前のタイムトライアルでは、絶好調で凄い走りをしていたとのことです。これは小出監督が、レース中に発言していました。
そう考えると、やはり体調の管理、そして気持ちの面が甘かったのではないかな、ってどうしても思ってしまうのです。


>>トップの人間は「結果が全て」で「努力賞」を取っても救われない。人たちの頂点にいるんですよね。

これは、そうだと思います。
結果的にこの選考レースであれば、1位は天国、2位は地獄だと思います。有森選手と松野選手。あの疑惑の選考で、有森選手がもしも選ばれておらず、松野選手が選ばれていたら、両者ともにマラソン選手としての人生は大きく変わっていたと思うんです。努力することに意味がないなんて言ってませんし思っていません。しかし、第一線で争う世界では、「結果」が全てであって「努力賞」は救われないのは現実だと思うのです。
松野選手は素晴らしい選手でした。ニコニコ堂で何人抜きもして駅伝女王とまで言われました。私は、当時大好きでした。
しかし残念なことに、マラソン選手として人々の記憶に残っているのは、有森選手なんです。紙一重の差で選考漏れしたにすぎない松野選手を有森選手以上にマラソン選手として評価する人はいないんじゃないかと。

>>たとえばテストで100点をとれば1位で1位は何人いてもいい、ということと常に1位は一人しかいないということと、そのとき100点でなくても1位になれるということでは条件が違うと思うんですね。

これは、私の言いたい意味と違う内容になります。この例え話だと、合格点を取れば良いと思ってます。
もしも、1位しか合格ではないというのであれば、1位になった人と2位になった人では、例え1点しか違わなくとも天と地だと思います。
かと言って2位の人の「努力」を否定しているわけではないです。ただ、2位の人自身は、思いっきり悔しいと思います。それは、運であろうと「結果」が全てと心得ているからだと思うのです。

4/7記事に書いた
「No1になれ」
というのは、またこの内容とは違って、人生の「目標」です。Only One思考でいいというのであれば、向上心が生まれないと思うのです。これは自論です。

「Only Oneでいいんだ」
「No1になりたい」
というのでは、どちらが向上心につながるでしょうか?取り組むものに、やりがいや生きがいを感じやすいでしょうか(Only Oneだと結局のところNo1になるという言葉尻を捉えることは置いておいて一般的にです)。

引きこもっていらっしゃる方に向けた、すぐに辞めようとする若者に向けたメッセージだと受け止めていただけたらと思います。


そしてフィギアの件ですが。
これはですね、正直詳しいことは知りません。そして、イナバウワーが得点にならないということも知りませんでした。その件につきましては非常に申し訳ありません。

私のこの記事を通して伝えたかったことは、
「競い合うスポーツの世界はエンターテイメントではなく真剣勝負の場。」

その中では、がむしゃらに僅かな点数をもぎとった人間が勝つんだ。感動を与えることを目的に勝負をしているアスリートはいないと思っています。真剣勝負そのものが、見る人に感動を生むのだと思っています。

その例に荒川静香さんを出したのは間違いでしたね。すみません。
安藤さんのアクセルだけに限定したらどうでしょうか。三回転半でも四回転でも、成功すれば見る人はおそらく「凄い」と思うでしょう。解説なしでは、多くの人が区別がつかずにどっちにしても「凄い」と評価してくれると思います。

しかし、安藤選手は失敗する危険を冒してでも四回転に挑みます。それは、僅差を争う場に身を投じているから、勝ちたいからだと私は思うんです。

勝利に誰よりも貪欲になったものが勝てる世界なんだと思うのです。

そういう意味で、「勝負師」Qちゃんとして見た時に今回レースは残念でした。
負けるべくして負けたのかな、と思ったのです。

どういう結果であれ私は、Qちゃんのファンです。それは変わりありません。次のレースも応援しますし、走りきったQちゃんから感動をもらうでしょう。

どうでしょう?言いたかったことが伝わったでしょうか?理解していただけたらありがたいです。
【2008/04/07 23:35】 URL | 管理人 #GpT49UKE [ 編集]

 
 
 
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