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タモリが赤塚先生に捧げた最後のギャグ  -白紙の弔辞-
 
 
【2008/08/10 03:56】
 
 
 7日営まれた赤塚不二さんの葬儀で、タモリさんが弔辞を述べた際、手にしていたのが白紙だったのではないかと、テレビやネットで話題になっている。タモリさんの弔辞は、約8分にわたる感動的なものだったが、映像を見ると、何も書かれていないようにもみえる。
 所属事務所は「ご想像にお任せします」としている。
http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200808080200.html

※弔辞全文
 8月の2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずか
 ではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの
 今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。
 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、
 ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは
 今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。
 この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の
 終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに
 居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を
 この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで
 夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを
 受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかの
 こともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって
 金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の
 振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
 あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。
 そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
 しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、
 はるか年下の弟のようでもありました。
 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑い
 ながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリと
 たたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
 あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
 それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を
 絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで
 言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした
 何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しい
 ことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の
 送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生
 忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、
 ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」
 と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
 私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の
 関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
 あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。

 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

 合掌。

 平成20年8月7日 森田一義
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下書きで保存して、アップせずに放置している記事が今年はいったいどれくらいあるだろう。

もう20記事くらいはある。
この記事もおそらく放置のままになるはずやった。

なんというか、気持ちが完全にキレてしまってます。
途中までは、書く気満々であるものの、途中から「う~ん、、、これはどうまとめよう・・・」と悩んで、明日にしよう・・・明後日にしよう、、、土日に・・・

そうこうしてるうちに・・・

これからは、中途半端で内容の薄い記事でもアップしようと決めたw


「おそ松くん」は、よく小さい頃観たなぁ。
osomatsulps.jpg

おそ松
一松
カラ松
チョロ松
トド松
十四松
チビ太
ハタ坊
デカパン
ダヨーン
イヤミ


主役から脇役まで、インパクトのあるキャラクターばかりで、幼少時代最も印象に残ってる漫画。


ここでもよく書きますが俺は、このブログからは想像もつかない(?)と思いますが、小学校時代に友達とイタズラばっかりしていました。
そのイタズラは、まさに「おそ松くん」の影響。


昼休み明けに水泳がある時は、みんな水着一丁で昼休みは遊んでた。
その時に、ジャンケンで負けた奴を砂場に埋めて顔だけ出して、スポンジのバットでスイカ割りの要領で目隠しして頭叩いてたもんなw
こんなん、今やってたらイジメだのなんだので絶対に許されないことやろうけど。


屋上から、地上にいる児童に向かっておしっこするのが流行った時があった(探したけど元ネタが見つからないが、これもおそ松くんの影響やったと思う)。
それも、通常通り最初から最後までずっとおしっこをしてしまったら、地上にいる人に屋上からおしっこしているというのがバレバレになるからといって、適度に止めて、またしてを繰り返して。雨が降ってると思わせるように。次第にうまくなってきて、めっちゃコントロールがきくようになってやな。
出したり止めたり、出したり止めたり。自由自在。
うまく出ない奴に
「お前、今日調子悪いな!」
とかなってたw
結局はバレてメチャクチャ怒られて(たぶん先生から思いっきり叩かれたw)、反省文みたいなんやら書かされた気がする。


こんなん書き出したらいっぱいある。
カメムシ事件もある。
授業中に、カメムシが一匹教室に占拠してすごい強烈な臭いを発してて。
先生が授業を中断して、そのカメムシ退治に時間を費やした。ここで、俺らはアホやから「カメムシ=授業がなくなる」と発想。
学校が終わって、友達数人と裏山にカメムシ探しをしに行った。んで、クラスのみんなに
「明日は、授業ないよ~」ってあらかじめ宣告しててやな。
次の日、朝から前日捕獲したカメムシ10匹くらいを教室にばら撒いてやね。
先生は教室に入るなり、異臭を感じて大慌てw
結局、優等生の女子が俺らがやったことを付け口しよった。結果的に授業がなくなったのは、前日に一生懸命カメムシを探しに行った俺と俺の友達数人だけ。
「そんなに授業をうけたくなかったら、廊下に出ておきなさい!!」
言われて退出を命じられた(もちろん喜んで退出したが)w


とにもかくにも、小学校時代のイタズラのバイブルは「おそ松くん」やった。
「おそ松くん」観た後に、みんなでなにか自分らにできるイタズラをしようと考えてた。
正直、めっちゃ楽しかった。戻れるなら小学校時代に戻りたいって思う。面白ければなんでもありやったし、なんでもやってたあの時代は今思えば人生の宝物やね(今の時代の小学校には行きたくないが)。


よし、話を一旦戻そう。

タモリさん。
いやぁ、白紙の弔辞であそこまで綺麗にまとめるのはすごいね。こういうところに芸人の素晴らしさを感じます。絶対に素人では追いつけないものをもっている。まさに「芸能」人。
俺やったら、間違いなく途中でテンぱってグダグダになると思う。

以前ここに書きましたが、友人の結婚披露宴のスピーチばりにグダグダになるw

そういや、、、また話は脱線しますが、、、思い出したんで書きます。
その後、そのアホ夫婦から案の定パーティへのお誘いがありました。
彼らが主催して、彼らの友達を呼んで食事会をすると。
「○月○日に食事会を開きます。」
と。

アホが。
いつまで調子こいとんねん。いつまで新婚気分に浸っとんねん。いつまで主役気取りやねん。
俺と一緒にスピーチをやった営業妨害男で口裏合わせてしょうもない理由で断ってやったった。
『しょうもない』っていうのがポイントやね。「参加したかったのに、参加できない」って思われたくない。「自分にとって優先順位の低いものやから、参加できない」って思われたい。
で、断りのメールを入れた。

「営業妨害男と海外旅行の打ち合わせしようと考えている日やから二人とも参加は無理」

とw

「参加してください。いつが都合良い?」
と頼み込んできたら、参加したるわいな。なんでお前らとそない仲良くもなかった俺が、お前ら主催の食事会にお呼ばれせなあかんねん(※注釈 普通の人との食事会ではそんなこと思いませんよ。あいつらやからここまで拒絶反応示してるのです。詳しくは過去の記事を確認してください。)。
どうせまたしょうもない披露宴の思い出話に花が咲くんやろ。
しょうもない。ほんましょうもない。

アホが。

アホが。

アホが。



と、まぁ完全に話が逸れましたが、最後にタモリさんの弔辞と同じく素晴らしいと思った弔辞があったのを思い出して、探したので掲載しておきます。こんな話し手になりたいですね。

上岡龍太郎の弔辞(お別れの会にて)→横山ノック


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